令和6年祇園祭御礼
7月31日八坂神社内の疫神社にて夏越祭が行われ、無事に祇園祭を終えることができました。今年も暑い中にもかかわらず、鯉山にお越しいただいた皆様に心より御礼申し上げます。
宵山期間中の授与所開設について
令和6年の厄除けチマキなどの授与は7月21日(日)〜23日(火)の3日間のみ特設授与所を開設して行います。時間はいずれも10:00〜20:00となっております。事前予約やお取置きは一切しておりません。厄除けチマキはなくな …
祇園祭 後祭りの山鉾〜京都室町六角下がる〜
7月31日八坂神社内の疫神社にて夏越祭が行われ、無事に祇園祭を終えることができました。今年も暑い中にもかかわらず、鯉山にお越しいただいた皆様に心より御礼申し上げます。
令和6年の厄除けチマキなどの授与は7月21日(日)〜23日(火)の3日間のみ特設授与所を開設して行います。時間はいずれも10:00〜20:00となっております。事前予約やお取置きは一切しておりません。厄除けチマキはなくな …
鯉山の始まりは正式にはわかりませんが、室町時代後期の京都の姿をあらわした狂言「籤罪人(くじざいにん)」には 「毎年出る山」として趣向と町内が固定した山として登場しています。
江戸時代には町衆の繁栄とともに山鉾も豪華絢爛になっていきましたが、天明8年の大きな火災では被害を受け、 その復興の一環としてタペストリーの獲得に乗り出し、天保年間(1830〜44)には 鯉山が再建されたと記録されています。
幕末には禁門の変により「鯉」「タペストリー等の織物」以外は焼き尽されましたが、翌年には仮の町席にて祭事のみの居祭を行い、 慶応3年(1867)は唐櫃にて巡行に参加しました。
明治5年(1872)には町衆の寄付により、再建を成し遂げ、明治の末までに飾りを新調して、 現在の鯉山の原型が完成しました。
祇園祭は神幸祭(17日)に併せて行われる「前祭」と、還幸祭(24日)に合わせて行われる「後祭」があります。鯉山はあと祭りに属しており、還幸祭に合わせて宵山、巡行を行ないます。あと祭の山鉾は橋弁慶山・北観音山・黒主山・浄妙山・役行者山・南観音山・鈴鹿山・八幡山・鯉山・大船鉾の十基あります。 そのうち橋弁慶山・北観音山・南観音山・大船鉾は籤取らずで巡行順は固定しています。
法人名 | 公益財団法人 鯉山保存会 |
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住 所 | 京都市中京区室町通り六角下る鯉山町522 |
代表者 | 北川 和男 |
設 立 | 昭和40年6月 |
会員数 | 49名 |
会 員 | 町内に在籍している事業者および居住者 |
活 動 内 容 |
祇園祭の宵山と巡行にかかわる事業。 重要文化財に指定されているタペストリーや 他の文化的財産の保存、復元。 祇園祭を維持継承していくための人材育成など。 |
-公 告-
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祇園祭の7月24日に行われる還幸祭に合わせて、町衆で行うお祭りです。7月21日〜23日までが宵山としてチマキ等を授与し、24日に山鉾巡行を行います。7月17日の神幸祭に合わせて行われるのが「さき祭」です。
食べられません。
疫病除けとして玄関に飾るものです。端午の節句に食べるチマキとは違います。
祇園祭の宵山期間中のみです。
鯉山は「あと祭」なので7月21日〜23日の期間だけ授与されます。(年による変更あり)ネットによる授与も行なっております。(詳しくはこちら)
チマキの原型と言われています。
昔は腰に付けて厄除けのおまじないにしていましたが、時代とともに変化しチマキとなったり、大きくなり茅の輪くぐりとして厄除け行事になっています。
登龍門とは立身出世を願うことです。
鯉山では八坂神社をお祀りしていますので八坂神社のお守りに立身出世の願いをかけて授与しております。
あと祭の宵山期間中の夕方(6時〜8時)頃です。
町内の子供達が集まってきて唄ってくれますが、厳密には時間は決まっていませんので早く終わることもあります。
24日の早朝から飾り、巡行から帰町後すぐに片付けます。